憧れのヒトとお向かいのおじちゃん


















先日、刈谷市の市民音楽劇
「万燈の輝く夜に」
に、木村庄之助が出演させていただきました。

ただ、うちのダンナを観に、
わざわざ、刈谷市まで、行くハズはありませんが、
今回は、観に行かねばならぬ、理由がありました。

演出が元・NHKディレクター、伊豫田静弘さんだったからです。

舞台は、オーケストラの生演奏のオペレッタ
感想は、月並みですが、
「素晴らしすぎる…」としか、言いようがありませんでした。

こんな、すごい「市民」音楽劇、初めて。
演出において、学ぶべき点、数知れず。
はー、巨匠の手にかかると、こうなっちゃうのね…。



伊豫田さんは、NHKの大河ドラマ「国盗り物語」「草燃える」など
大河ドラマの演出から、単発のドラマを演出されていました。

中でも、1982年に放映された、
脚本・山田太一さん 主演・笠智衆さんのドラマ、
『ながらえば』
(モンテカルロ国際委テレビ祭最優秀演出賞)
は、日本映画の名作と並ぶ、テレビドラマの名作で、
私の、アタマの中には、

             名優・笠智衆さん
                  ↓
          映画=小津安二郎監督   
      テレビドラマ=伊豫田静弘ディレクター

という図式が、確立していました。
(観たい人は、お貸しします。VHSだけど。)


十数年前、
私が、NHKのドラマ班でお手伝いさせていただいた時、
伊豫田さんは、エグゼクティブプロデューサーという肩書で、
時々、CKにおみえになりました。
引退される前の年で、最後の演出となるドラマの
準備をされていました。
残念ながら、私は、その前に放映される、
別のドラマのグループにいました。

アタマの中が「小津監督=伊豫田監督」になっている私は、
「うわぁぁぁぁ、いよだ監督だぁぁ」と、
NHKの柱のカゲから、ストーカーのように、
見つめていました。

一緒に働いていた、ADの男の子が、そのようすを見て、
「伊豫田さんのドラマに当たらなくてよかったね」
と言うので、
「なぬ?! けしからんことを!」と言って
理由を聞いたら、彼は、
「だって、1カット、1ドリー、なんだもん。」と言って、
深いため息をつきました。

…確かに、これから彼が、その香盤表を書くということを
聞いただけで、私も、気を失いそうでしたが。


そんなある日、
意を決して、NHKの柱のカゲから、飛び出し、
「憧れの監督」、
伊豫田さんにごあいさつしました。

「私は、子供のころに、『ながらえば』を観て、本当に
感動しました。
この業界に入り、伊豫田さんが名古屋の方と知って感激し、
なぜか、こうして、同じフロアーにいらっしゃるのが夢みたいです。
緊張のあまり、ご挨拶もできませんでしたが、
今日、勇気を出して、
お声をかけさせて、いただきました。
私は、伊豫田さんのお宅の、お向かいに住んでいる、
Iちゃんの親友です



そう、実は、私の親友Iちゃんは、伊豫田監督の
「お向かい」さんだったんです。

ぺーぺーのADが、巨匠とお話するには、友人をダシに
使うしか、方法がありません。

伊豫田さんは、
「ああ、Iちゃんの、お友達ですか!うちの家内と、
Iちゃんのお母さんは、とても仲がよくてね…」
と、肝心な『ながらえば』の話より、
Iちゃんちとの、「ご近所」話を聞かせてくださいました。

友人Iちゃんつながりのおかげで、
その後、NHKを引退されても、私の書いたお粗末なシナリオに、
意見をしてくださったり、
うちのダンナを、舞台に呼んで下さったり。

伊豫田監督から、シナリオに関して、教えていただいたことは、

「シナリオは、どこかに、”釘”を打っておかなくてはいけませんよ。
その”釘”で、観る人のこころを、ひっかけるんです」

でした。

うまく言えませんが、ドラマの中に登場する、
人間の「愛」と「怖さ」のどちらもあてはまるように思え、
鳥肌が立ちました。



ドラマも、今回の市民音楽劇の舞台もしかり、
やはり、極めている方は、
素晴らしいお人柄が、すべての作品ににじみ出るのね。

当時も、今も、伊豫田さんの魔法の”釘”は、ご健在で、
私は、ひっかかりっぱなしです。


ちなみに、おそるべし、友人Iは、当時も、今も、

「へー、エライひとなんだ、お向かいのおじちゃん。」

お、お、おじちゃん、ゆうなっちゅーの。
しっかり、釘、さしておきます。

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