続・「beck映画化」と反対署名

















2009年シアトルにて。市民は、フツーに、ジミ・ヘンの横を歩いていた。







映画「beck」が、9/4に上映されます。


昨年11月、「エディも登場するんか??」と
気をもんでいると書きましたが、

その後、映画の公式HPは、ちゃくちゃくと、更新され、


エディも、マットも、ダイイング・ブリードのメンバー
まるごと登場することがわかり、
もう、8月すっとばして、早く観たいっっ。
   ↓
http://www.beck-movie.jp/


しかし、堤監督さま、よくも、まあ、こんなに良く似た方々を
探したもんだ。
エディも、マットも、そっくり。
(でも、この人たち、だれ??モデルさん?? 役者さん?? 
ミュージシャン??)


しかも、レオン・サイクス役は、なんと、スパイク・リー監督の
弟さん、サンキ・リー!! どわー。


ついでに、
わが母校の誇り、原作者、ハロルド作石先生のインタビューを
読んでいたら、


「beckは、8巻ぐらいで終わる予定だったんですが、
シアトルの取材で、ニルヴァーナの、
カート・コバーンの家を見たり、
ジミ・ヘン像を見たりしてたら、続けたくなりました」

と、書いてありました。どわー。


…私と同じコースをまわっていた方が、ここにもいらした。 
(しかも、同じ母校で)


カートが亡くなった、翌年に、「たまたま」、仕事でシアトルに
行きました。

おみやげショップには、ジミ・ヘンTシャツと並んで、カートの遺書がプリントされたTシャツが売られ、とても、生々しかったです。
フツーの主婦までが、「あちこちの公園で、追悼が行われたりして、もう大変だったのよ~」と、シアトルでの衝撃ぶりを
語ってくれました。

そして、15年後の昨年、
ようやく、カートの家を、行ったのですが、高級住宅街にある、
すんんんごい「お屋敷」は、
お庭の緑が、きちんと手入れされ、やすらぎが漂ってました。
カートが生きていたら、私と同じ年だったのよね。


…と、家まで、のこのこ、見に行っておきながら、
私は、決してニルヴァーナのファンではありません。
一番好きなバンドは、同じくシアトル出身の、パール・ジャム。
死んじゃわずに、やってるから。


私だけではなく、beckの、ダイイングブリードのエディを、
パール・ジャムの「エディ・ヴェダー」と妄想しているひとは、
たくさんいらっしゃいますね。



さて、話は戻り、
上映、約1か月前にして、それでもまだ、続いている
「beck映画化反対署名運動」。
大きなお世話ですが、やっぱり、書きます。

反対している方々は、熱烈なbeckファンですね?

私が知る限り、
「映画を作っている」人たちの人種は、
ほとんど、beckのメンバーと、ほぼ同じ人種です。

自分の時間と、体力と、想いを、ほとんど、映画のために費やし、
安定した生活や、お金や、世間体など、どうでもよく、

体こわそうが、
親が止めようが、
子供が泣こうが、
ヨメに捨てられようが、
心臓に毛が生えてこようが、
映画だけは、辞めないひとたちです。

その中の、ほんのほんの、一握りの人が、
認められ「プロ」になります。
そもそも、商業主義のひとは、映画の仕事を選ぶなんてことは、
しないでしょう。

ましてや、意見されようが、反対されようが、非難されようが、
悩んで、辞めるような、
「中途半端な覚悟」しか持っていない
ひとたちなら、映画なんか撮り続けません。

興行成績や収入を、算段して、ヒットをねらわなくては
いけないのは、仕事なんだから、あたりまえです。

「商業志向」を、悪だけと、とらえるなら、ジミ・ヘン像も、
カートのお屋敷も、存在しません。



ああ、早く、9/4が来ないかな。
上映初日に、映画館に並んで観たのは、
小学校の時の「劇場版・あしたのジョー」
ぐらい…

お? 9/4??

どわー。 

…そういえば、わが同志、
Kクンの映画の、上映会も、9/4だったね。

…「反対」なんか、「へ」、でもない人が、
ここにも、ひとりいるの、忘れとった。


ビールと名古屋場所
















「名古屋の、夏の風景を撮ってこい」

と、言われたら、迷わず、
八事の緑の多い静かな住宅街で、
せみが、ジャワジャワ鳴く中、
3人連れで、のしのしと、そっくりかえって歩く、
浴衣姿のお相撲さんの画を、撮ってきます。

生まれも育ちも、名古屋人にとっては、名古屋場所は、
夏の風物詩でした。

NHKの中継はなくなったものの、
名古屋場所は開催されてよっかた。
おまけに、白鵬、連勝、おめでとうございます。


自分が小さいため、
デカイひとばかりの中で、小さな身体のスポーツ選手を見ると、
無条件で応援してしまいます。
横綱・白鵬も、そのひとり。

ついでに、ここ最近の、超お気に入りのCMは、
富士ゼロックスでした。
「簡潔明瞭、説明いらず」の、こーゆーCMが、自分の目標。
        ↓
http://www.youtube.com/watch?v=qgCW_O7ABNY


しかし、過去に、ひとりだけ、「バカでかい」お相撲さんの
大ファンだったことがあります。

「昭和の怪物」と呼ばれた、横綱・北の湖です。

(薬物問題で外国人力士が二人追放されたとき、責任とって謝ってた、
北の湖親方、元・理事長です。)

現役当時、
あまりにも、でかくて、強すぎて、負け知らずで、こわい顔で、
勝つたび、お客さんから、座布団なげつけられて、
嫌われていた、
相撲界の悪役だった、あの、横綱・北の湖です。

なぜ、そんな、悪役の、大ファンだったかというと、
北の湖に、ビールをお酌したからです。


私が、小5?のときの夏、名古屋場所で、
近所の定食屋さんに、いわゆる、「タニマチ」さんらしき人が、
北の湖関を連れてやってきたのです。

たまたま、そこらへんで遊んでいた、うちらガキんちょは、
「お相撲さんがきたよ!」と
招集をかけられ、のぞきに行くと、
定食屋さんの、小さなイスを2つ使って座っている、
「浴衣を着たキングコング」の、
後ろ姿が見えました。

大げさではなく、その体の大きさは、Uカメラマンの3倍です。
どう見ても、人間ではない。


近所の大人たちから、ガキんちょ連の中でたまたま、年長だった私が、
ビールを注ぐ任務を命ぜられ、
おそるおそる、前にまわると、

ぶっちょうづらの「人面キングコング」

が、おちょこのような、中ジョッキを持った手を、
ぬっと差し出しました。

「おそるおそる」のくせに、「きょうみしんしん」の、小学5年生は、
キングコングの顔を、まじまじ、見つめながら、お酌をしていると、
突然、キングコングが、顔を近づけ、

「キミには、まだ、お返しできないね」と、
にっこり笑ったのです。

テレビでは、誰も見たことのない、悪役・北の湖の、
とてもやさしい笑顔を、見てしまったその日から、
気分は、すっかり、
「キングコングに恋心をいだいてしまった、ナオミ・ワッツ」。

無敵な強さと、大きな体に似つかわしくない、やさしい笑顔、
小5の私は、「お相撲さんとなら、結婚してもいい」 
と、マジで考えました。

…なのに、
結婚した相手は、「木村庄之助」でした。

ああ、人生って、ニアミス。

憧れのヒトとお向かいのおじちゃん


















先日、刈谷市の市民音楽劇
「万燈の輝く夜に」
に、木村庄之助が出演させていただきました。

ただ、うちのダンナを観に、
わざわざ、刈谷市まで、行くハズはありませんが、
今回は、観に行かねばならぬ、理由がありました。

演出が元・NHKディレクター、伊豫田静弘さんだったからです。

舞台は、オーケストラの生演奏のオペレッタ
感想は、月並みですが、
「素晴らしすぎる…」としか、言いようがありませんでした。

こんな、すごい「市民」音楽劇、初めて。
演出において、学ぶべき点、数知れず。
はー、巨匠の手にかかると、こうなっちゃうのね…。



伊豫田さんは、NHKの大河ドラマ「国盗り物語」「草燃える」など
大河ドラマの演出から、単発のドラマを演出されていました。

中でも、1982年に放映された、
脚本・山田太一さん 主演・笠智衆さんのドラマ、
『ながらえば』
(モンテカルロ国際委テレビ祭最優秀演出賞)
は、日本映画の名作と並ぶ、テレビドラマの名作で、
私の、アタマの中には、

             名優・笠智衆さん
                  ↓
          映画=小津安二郎監督   
      テレビドラマ=伊豫田静弘ディレクター

という図式が、確立していました。
(観たい人は、お貸しします。VHSだけど。)


十数年前、
私が、NHKのドラマ班でお手伝いさせていただいた時、
伊豫田さんは、エグゼクティブプロデューサーという肩書で、
時々、CKにおみえになりました。
引退される前の年で、最後の演出となるドラマの
準備をされていました。
残念ながら、私は、その前に放映される、
別のドラマのグループにいました。

アタマの中が「小津監督=伊豫田監督」になっている私は、
「うわぁぁぁぁ、いよだ監督だぁぁ」と、
NHKの柱のカゲから、ストーカーのように、
見つめていました。

一緒に働いていた、ADの男の子が、そのようすを見て、
「伊豫田さんのドラマに当たらなくてよかったね」
と言うので、
「なぬ?! けしからんことを!」と言って
理由を聞いたら、彼は、
「だって、1カット、1ドリー、なんだもん。」と言って、
深いため息をつきました。

…確かに、これから彼が、その香盤表を書くということを
聞いただけで、私も、気を失いそうでしたが。


そんなある日、
意を決して、NHKの柱のカゲから、飛び出し、
「憧れの監督」、
伊豫田さんにごあいさつしました。

「私は、子供のころに、『ながらえば』を観て、本当に
感動しました。
この業界に入り、伊豫田さんが名古屋の方と知って感激し、
なぜか、こうして、同じフロアーにいらっしゃるのが夢みたいです。
緊張のあまり、ご挨拶もできませんでしたが、
今日、勇気を出して、
お声をかけさせて、いただきました。
私は、伊豫田さんのお宅の、お向かいに住んでいる、
Iちゃんの親友です



そう、実は、私の親友Iちゃんは、伊豫田監督の
「お向かい」さんだったんです。

ぺーぺーのADが、巨匠とお話するには、友人をダシに
使うしか、方法がありません。

伊豫田さんは、
「ああ、Iちゃんの、お友達ですか!うちの家内と、
Iちゃんのお母さんは、とても仲がよくてね…」
と、肝心な『ながらえば』の話より、
Iちゃんちとの、「ご近所」話を聞かせてくださいました。

友人Iちゃんつながりのおかげで、
その後、NHKを引退されても、私の書いたお粗末なシナリオに、
意見をしてくださったり、
うちのダンナを、舞台に呼んで下さったり。

伊豫田監督から、シナリオに関して、教えていただいたことは、

「シナリオは、どこかに、”釘”を打っておかなくてはいけませんよ。
その”釘”で、観る人のこころを、ひっかけるんです」

でした。

うまく言えませんが、ドラマの中に登場する、
人間の「愛」と「怖さ」のどちらもあてはまるように思え、
鳥肌が立ちました。



ドラマも、今回の市民音楽劇の舞台もしかり、
やはり、極めている方は、
素晴らしいお人柄が、すべての作品ににじみ出るのね。

当時も、今も、伊豫田さんの魔法の”釘”は、ご健在で、
私は、ひっかかりっぱなしです。


ちなみに、おそるべし、友人Iは、当時も、今も、

「へー、エライひとなんだ、お向かいのおじちゃん。」

お、お、おじちゃん、ゆうなっちゅーの。
しっかり、釘、さしておきます。